【コラム】世界のベストホースランキング

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競馬ファンとして日本の馬がもっと世界で活躍して欲しいと願う反面、海外レースを主戦にすると、国内のG1競走に出走することが少なくなり、その勇姿が見られなくなり寂しい気持ちにもなる。特に競馬の場合、馬券等でお世話になった馬だったりすると、その馬からまた勝負したいという気持ちが溢れてくる。

先月、2018年度のロンジンワールドベストレースホースランキングが発表された。2018年1月1日から12月31日までに出走した馬を対象としたもので、日本調教馬のトップは、ジャパンカップを勝ったアーモンドアイで第11位タイだった。

強くなった日本の馬

近年、日本の競馬は急激な成長を遂げているといっていいだろう。昨年、アーモンドアイがレコード勝ちしたジャパンカップは第38回、日本初の国際G1競走として1981年に創設された。第1回を制したのはアメリカの牝馬メアジードーツ、日本の馬が初めて勝ったのは第4回のカツラギエース、翌年も皇帝シンボリルドルフが勝ち、日本馬も世界と互角に戦えると思われていた。

その後、6年間は外国馬が勝ち続け、その中にはホーリックスとオグリキャップの名勝負などがある。その後は、日本馬が勝ったり外国馬が勝ったりと切磋琢磨していたが、2006年の第26回を勝ったディープインパクトから昨年のアーモンドアイまでの13年間は日本馬が勝ち続けている。

日本が島国ということもあって、参戦する外国馬が減ってしまったということもあるが、国際G1競走というよりも国内G1競走というイメージの方が強い感じがするが、勝ち続けられるといことは、それだけ日本の馬が強くなったという証でもある。

日本競馬の試金石、凱旋門賞

今では香港やドバイ、そしてフランスの凱旋門賞に挑戦する日本馬が注目をされている。世界最高峰の競走と称される凱旋門賞、昨年はクリンチャーが武豊騎手とのコンビで挑んだが17着に敗れた。

実は凱旋門賞に日本馬が挑戦したのは、ジャパンカップが創設されるよりも前の1969年、4歳で天皇賞(春)を初制覇、秋にはアメリカにも遠征したスピードシンボリ。世界を股に掛け戦いを挑む開拓者スピードシンボリが、6歳を迎えて欧州に長期滞在するなどして、凱旋門賞に挑戦したものの歯が立たなかった。

スピードシンボリは日本に帰国した年の有馬記念を勝ち、翌年にかけて宝塚記念、そして有馬記念とグランプリ3連勝を飾った当時の最強馬。日本の最強馬であっても、海外では足元に及ばない、世界と日本の力の差を見せつけられた。

そして30年間の苦悩の末に日本馬に光が射す。1999年のエルコンドルパサーが蛯名正義騎手とのコンビで凱旋門賞に挑戦し2着となり、日本馬でも戦える勝てるチャンスがあることを証明した。その後、2011年にナカヤマフェスタが2着、2012年、2013年は2年連続でオルフェーヴルが2着、勝ち馬こそまだ出ていないが世界最高峰の凱旋門賞制覇は目の前まできている。

今年はダービー馬ワクネリアンや三冠牝馬アーモンドアイが凱旋門賞を目指して調整をしているようだ。半世紀前から始まった偉大な挑戦がいつ実を結ぶのか、世界を席巻する馬が日本の土壌から生まれると思うと、国内で行われる1つ1つのレースが楽しみになって仕方がない。これだから競馬はやめられない。

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