【コラム】日本競馬界の悲願、【凱旋門賞】制覇へ!

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フランスのパリロンシャン競馬場で行われる世界最高峰の凱旋門賞の1次登録馬81頭が、主催者から発表された。日本からは皐月賞馬のサートゥルナーリアをはじめ、春の天皇賞を制したフィエールマン、昨年のグランプリ有馬記念を勝ったブラストワンピース、その他ではキセキ、リオンリオン、ロジャーバローズ、ノーワンの計7頭がエントリー。史上初の3連覇を目指す英国馬エネイブルも名を連ねた。

現役最強馬のアーモンドアイも凱旋門賞に挑戦する予定だったが、3月にドバイターフを勝った後、体調面が優れないということで、凱旋門賞を回避して春は安田記念に目標を定め調整が行われている。日本の馬が目指す凱旋門賞とはどんなレースなのか、海外遠征が盛んな近代競馬を知るためにも、凱旋門賞と日本馬の歴史を知っておくと、レースの見方が一味違うものになるだろう。

フランスのパリロンシャン競馬場は、パリのセーヌ河畔に位置し、国内で行われる重賞レースの4割以上がロンシャンを舞台に行われます。
パリロンシャン競馬場は右回りコース、凱旋門賞は芝2400mで行われます。芝2400mのレースと日本でイメージすると、コーナーが4つあり競馬場を1週するイメージがありますが、パリロンシャン競馬場の芝2400mコースは大きなコーナーが2つしかありません。簡単にイメージするなら、Uターンして戻ってくるという感じが分かりやすいと思います。
そして最後の直線は533m、東京競馬場の直線が526mなので、追い込むには十分の長さがあり、世界最高峰を決めるレースに相応しく、小細工なしのガチンコ勝負が期待できるコースとなっています。

そんな世界最高峰の競馬に日本馬が参戦したのは1969年、今から約50年前に天皇賞馬スピードシンボリが開拓者となって挑戦した。スピードシンボリは4歳の天皇賞・春でG1初制覇、秋にはアメリカにも遠征を行った海外遠征のパイオニア。そんな経験と実績を備えたスピードシンボリが6歳を迎え、凱旋門賞に挑戦をしたが、まるで歯が立たなかった。
日本馬に光が見えたのは、そのから30年たった1999年。この年に挑戦したエルコンドルパサーは、G1サンクルー大賞制覇など次々と成果をあげ、凱旋門賞でも優勝候補の1頭として参戦するまでになった。不良馬場の中で敢然と逃げ粘り、惜しくも2着に敗れたものの1/2馬身差と、優勝へあと一歩まで迫ってみせた。

光が射した日本馬が7年後の2006年に送り出したのが三冠馬ディープインパクト。当時、フランスの凱旋門賞観戦にツアーが組まれ、日本からも多くのファンが凱旋門賞制覇を見ようと押し寄せたが、3着に入線するのが精一杯だった。

ディープインパクトで勝てないのならいったい……凱旋門賞制覇が遠のいたかに思われた日本調教馬の元へ、一筋の光明をもたらしたのは2010年のナカヤマフェスタだった。国内G1勝ちは宝塚記念のみと、先輩たちに比べ実績的に劣るナカヤマフェスタだったが、レースでは英ダービー馬ワークフォースと激闘を演じて2着。エルコンドルパサーの1/2馬身差からアタマ差へと、さらに勝利へと近づいた。

そして2年後の2012年、三冠馬オルフェーヴルが凱旋門賞に挑んだ。直線一気に突き抜けて先頭、あとはゴールに駆け込むだけと誰もが勝利を確信したが、コール前のところで気まぐれな性格が顔をのぞかせ、目を疑うような急減速。一度差し切った相手に差し返され、手にしたはずの栄冠を差し出してしまった。
そして翌年、挽回を期して2013年も凱旋門賞に参戦したが、3歳牝馬トレヴの豪脚に完敗、2着を確保するのが精一杯だった。

約50年の歴史の中で、凱旋門賞に出走した日本馬が18頭、エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタ、オルフェーヴルが2着となるが優勝馬は出ていない。しかしこの50年で、太刀打ちできなかった日本馬が、優勝にアタマ差まで近づいた。これは日本の競馬が50年間で、著しい成長を遂げた証でもある。日本競馬界の悲願でもある凱旋門賞制覇は、もう目の前まできている。今年も10月6日の日曜日、パリロンシャン競馬場の芝2400mで、新たな歴史の1ページが刻まれる。

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